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生成AI時代に教師にしかできない仕事とは?

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この記事はこんな人におすすめです

この記事は、次のような先生に向けて書いています。

・生成AIを使ってみたいけれど、何から始めればよいかわからない先生
・文科省のガイドラインを踏まえて、安全にAIを活用したい先生
・授業づくりや校務を少しでも効率化したい先生
・AIに仕事を奪われるのではないかと不安を感じている先生
・生成AI時代に、教師にしかできない仕事を考えたい先生

みなさんこんにちは。
ゆーし@探究の教師です。

最近、学校現場でも「生成AI」という言葉を聞くことが増えてきました。

授業案を考える。
ワークシートを作る。
保護者向けの文章を整える。
会議資料を要約する。
所見のたたき台を作る。

正直に言えば、これまで教師が時間をかけてきた仕事の一部は、AIに任せられる時代になってきています。

では、これからの教師は何をする人になるのでしょうか。

AIが授業案を作れるなら、教師はいらなくなるのでしょうか。
AIが声かけの例を出せるなら、教師の経験はいらなくなるのでしょうか。

僕は、そうではないと思っています。

むしろ、生成AI時代だからこそ、教師にしかできない仕事がはっきりしてきたのだと思います。

生成AIは「どう使うか」が問われている

文部科学省は、初等中等教育段階における生成AIの利活用についてガイドラインを示しています。

そこで大切にされているのは、生成AIをただ禁止することでも、何でも自由に使うことでもありません。

学校現場で、どのように適切に使うのか。
どんな場面では注意が必要なのか。
子どもの学びを深めるために、教師はどう関わるのか。

そうした視点です。

つまり、これからの教師に求められるのは、AIを怖がることではありません。
かといって、AIに丸投げすることでもありません。

AIの便利さと危うさを理解したうえで、目の前の子どもの学びにとって意味のある使い方を判断することです。

ここに、教師の専門性があります。

学校現場でできる生成AIの活用方法

僕は、まず次の三つからでいいと思っています。

一つ目は、指導案づくりの言葉を整えることです。

授業を考えるとき、教師の中には感覚があります。

「この授業では、子どもにこう考えてほしい」
「この活動を通して、こんな姿を引き出したい」

でも、それを指導案に書こうとすると、急に難しくなることがあります。

特に研究授業や校内研修では、学習指導要領や「指導と評価の一体化」に沿った、公的な言葉で表現する必要があります。

そんなとき、AIは役に立ちます。

「この授業で目指す子どもの姿を、学習指導要領の言葉を踏まえて表現してください」
「この活動のねらいを、指導案に合う表現に整えてください」
「評価規準の文末表現に合わせて、子どもの姿を書き換えてください」

このように相談すると、自分の中にある実践の感覚を、指導案に合う言葉へ整える手助けをしてくれます。

二つ目は、校務の文章作成を軽くすることです。

保護者向けの文章、学年だより、アンケート文、会議資料、連絡文。
教師は、とにかく文章を書く仕事が多いです。

「この文章をやわらかくして」
「要点を3つに整理して」
「保護者に誤解なく伝わる表現に直して」

このように使えば、文章作成の時間はかなり短くなります。

そして、削った時間を、子どもを見る時間や、同僚と対話する時間に戻していく。

これは、生成AIのかなり現実的な使い方だと思います。

三つ目は、子どもの具体的な姿を考えることです。

授業づくりで難しいのは、活動を考えることだけではありません。

「この授業で、子どもがどんな姿になればよいのか」
「どのような姿が見られたら、おおむね満足できる状況と言えるのか」
「さらに深まっている子どもは、どのような姿を見せるのか」

ここを具体的にすることが大切です。

たとえば、生成AIに、

「小学校◯年生の国語『〇〇』で、登場人物の気持ちの変化を読む授業をします。学習指導要領と指導と評価の一体化の考え方を踏まえて、B評価の子どもの姿と、A評価の子どもの姿を具体的に考えてください」

と相談する。

すると、子どもの発言やノートの記述をどのように見取ればよいのか、視点を整理することができます。

もちろん、AIが出したものをそのまま評価規準として使うわけではありません。

学習指導要領のねらいに合っているか。
単元の目標とずれていないか。
目の前の子どもの実態に合っているか。

最後に判断するのは教師です。

気をつけたいこと

一方で、生成AIは便利だからこそ、気をつけなければいけないこともあります。

特に大切なのは、個人情報、著作権、そしてAIの答えをうのみにしないことです。

子どもの名前、成績、家庭状況、配慮事項、トラブルの詳細などを、そのまま生成AIに入力してはいけません。

相談したいときは、

「小学校中学年の児童が、友達とのトラブル後に気持ちを切り替えられない場合、担任としてどのような声かけが考えられるか」

のように、個人が特定されない形に変える必要があります。

また、AIが作った文章や画像だからといって、何でも自由に使えるわけではありません。

既存のキャラクターに似た画像。
有名な作家の文体に寄せた文章。
特定のイラストレーターの絵柄に近い作品。

こうしたものを、学級通信、学校ホームページ、SNS、配付資料などで使う場合には注意が必要です。

「AIが作ったから大丈夫」ではなく、
「誰かの作品に似すぎていないか」
「公開してよい使い方なのか」
「学校や自治体のルールに合っているか」
を確認する必要があります。

AIの答えは「正解」ではなく「たたき台」として扱うことです。

そして、

生成AIは、それらしい文章を作るのが得意です。
でも、事実と違うことを自信満々に言うことがあります。

だからこそ、最後に確認するのは教師です。

AIは目の前の子どもを見られない

生成AIは、選択肢を増やしてくれます。

でも、目の前の子どもの表情を見ることはできません。

その子が今、どんな気持ちで座っているのか。
なぜ鉛筆が止まっているのか。
なぜ友達にきつい言葉を使ってしまったのか。

その奥にあるものは、画面の中にはありません。

教室にあるのです。

だから教師の仕事は、AIが出した正解っぽい言葉をそのまま使うことではありません。

目の前の子どもの姿を見て、

「今、この子に必要な関わりは何か」



を判断することです。

終わりに

生成AIは、教師を助けてくれる心強い相棒になります。

任せられるものは任せる。
削れるものは削る。
その分、子どもを見る。
子どもと話す。
子どもの背景を想像する。

AIは、教師の代わりに子どもを愛することはできません。
AIは、教師の代わりに教室の空気を感じることはできません。
AIは、教師の代わりに子どもの小さな変化に胸を動かすことはできません。

だからこそ、生成AI時代に必要なのは、AIに負けない教師ではありません。

AIを使いながら、目の前の子どもをもっと深く見ようとする教師です。

教師の価値は、何でも一人で抱えることではない。

任せてよいものを任せる力。
任せてはいけないものを見極める力。
そして、最後は自分の教育観で判断する力。

それが、生成AI時代の教師に求められる専門性なのだと思います。

今日はこれでおしまい。

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