「この子の所見、何を書けばいいんだろう…」
学期末になるたびに、そうつぶやいていた時期がありました。
手が止まるのは、いつも同じ子です。
勉強も運動も卒なくこなしていて、トラブルも起こさない。
困っている様子もなく、授業でも静かに座っていて
テストでも点数が取れている。
そのとき、ようやく気づきました。
「書けない」のではなく、「見ていなかった」のだと。
所見が書けないのは、文章力の問題じゃありません。
子どもを見る「視点」と「習慣」の問題です。
そして、その視点は授業の中でしか育ちません。
この記事では、通知表の所見・通知表の記録に毎学期悩んでいた教師が、
「見る子を変えること」で所見を書けるようになった考え方をお伝えします。
書けないのは、その子を見ていない
通知表の所見を書き始めると、ある傾向に気づきます。
活発な子、手をよく挙げる子、問題を起こした子は、スラスラ書ける。
でも、静かな子、大人しい子、目立たない子は、どうしても手が止まる。
これは、記憶力の問題ではありません。
授業の中で、その子のことを「見ていなかった」からです。
やんちゃでもない。問題も起こさない。
勉強も運動も、それなりにこなしている。
でも、いざ書こうとすると、
「あれ、この子って学期中どんなこと頑張ってたっけ…」となる。
これは、記憶力の問題ではありません。
「困っていないから大丈夫」と判断して、
その子を「見ていなかった」からです。
教師の目線は、自然と動きのある子に引き寄せられます。
やんちゃな子、質問してくる子、トラブルを起こす子。
声の大きい子、前に出てくる子、手を挙げる子。
反対に、静かにしている子は「問題がない」と判断されて、
いつの間にか視界の外に出てしまいます。
「問題ない子」は視界から消える
「問題がない」と思った瞬間、
その子への関心はそこで止まります。
声をかけなくなる。そばに行かなくなる。
名前を呼ぶ機会が減っていく。
何事もなく過ごしている子は、記憶に残らない。
残らないから、書けない。
「問題ない」は「見なくていい」じゃない。
そのことに、わたしは気づけていませんでした。

全員を見ないようにする
学期末に所見で手が止まる子を思い浮かべてください。
おそらく、その子は学期中も「後回し」になっていたはずです。
これはあなたが悪いわけじゃない。
そういう構造になっているんです。
でも、それを知っているなら、変えられます。
「後回し」の子を意図的に「先に見る」ことができます。
所見に困らない先生が、授業中に必ずやっていること
所見が書けるようになるための近道は、意外なところにあります。
それは、「できない子」「取り組もうとしない子」に、意識的に近づくことです。
「文例を増やす」でも「メモをこまめに取る」でもありません。
見る子を変えること。それだけです。
所見で手が止まるあの子に、今日近づきましたか
やる気はある。ノートも丁寧に書いている。
テストもそこそこ点数が取れている。
でも、発言はあまりしない。
そういう子に、何回声をかけましたか。
問題がないから、声をかけない。
点数が取れているから、
困っていないと判断する。
「大丈夫そう」という理由で、
その子への関わりはゼロに近くなっていく。
でも、その子のそばに行って、ひとこと声をかけてみると、
そこに「所見」があります。
「どこまでわかった?」と聞いたときの反応。
「ここが難しかったんだよね」と言ったときの表情。
ちょっとだけできたときに見せた、小さなうなずき。
そういう「一瞬」が、所見になります。
ていねいに関わったぶんだけ、書ける材料が増えていきます。
「テストで点が取れている」が落とし穴
問題を起こさない。点数もそこそこ取れている。
発言は少ないけど、ノートはちゃんと書いている。
「この子は大丈夫」と、無意識に判断していませんか。
その判断が、所見を書けなくさせています。
声をかけるきっかけが生まれない。
だから関わりが生まれない。
だから記憶に残らない。
学期末になって初めて、
「あれ、この子のことを何も知らない」と気づく。
でも、その子のそばに行ったとき、初見えるものがあります。
「ここがずっとわからなかった」という正直な言葉。
「ここだけはわかった」という小さな自信。
一人でこつこつ続けてきた、その子だけの努力の跡。
所見とは、子どもを「観察した記録」ではなく、
「関わった記録」なのかもしれません。
体育の授業は、その子の「本音」が全部出る場所だった
わたしが体育科専門だから言うわけではありません。
体育の授業は、「その子らしさ」が出やすい場です。
国語や算数の授業では、子どもはある程度
「学習者」としての顔をつくります。
でも体育は違います。
できる・できないが体で出る。感情がそのまま顔に出る。
友達との関係が、動きの中に現れます。
「うまくできたか、できなかったか」だけを見ていると、
その子の本当の姿は、何も見えてきません。
うまくできなかった場面にこそ注目する
チームで競う場面、うまくできなかった場面、誰かに笑われそうになった場面。
そういうときに、その子がどう反応するか。
くやしそうにしながらも、もう一度チャレンジする子。
うまくできなくて、そっとフェードアウトしようとする子。
苦手なのに、チームのために声を出そうとしている子。
そういう姿を見ているか、見ていないか。
それが、学期末の所見の「差」になります。
あなたにしか書けない所見がある
うまくできた子のことは、誰でも書けます。
「○○がとても上手になりました」。そのまま書けばいい。
でも、うまくできなかった子のことを書こうとすると、手が止まる。
それは、うまくできない場面を「見ていなかった」からではないでしょうか。
できない子に近づいていれば、書ける材料がそこにあります。
「何度挑戦したか」「どう声をかけたら動いたか」「どんな表情をしていたか」。
できないことは、マイナスじゃありません。
できない子に関わることが、一番豊かな所見になります。
所見が書けないのは、「見る順番」を間違えている
「子どもを見る視点を変える」といっても、具体的に何をすればいいのか。
シンプルに言うと、ひとつだけです。
授業後に「この子の所見が書けるか」と問う
授業に入る前に、一人の子の顔を思い浮かべてください。
そして、授業が終わったあとに「この子の所見が書けるか」と問いかける。
書けるなら、今日その子のことを「見た」ということ。
書けないなら、明日その子を「見に行く」ということ。
毎日全員は難しい。
でも、一日一人なら続けられます。
一学期で授業が80〜100時間あるとしたら、
30人のクラスを何周も見ることができます。
今日見る子を一人決めるだけで、授業が変わる
「所見のためにメモをとろう」とよく言われます。
でも、メモの前に「誰を見るか」を決めることのほうが大切です。
見ていない子のことは、メモできないからです。
授業前に、今日スポットを当てる子を一人決める。
その子のそばに行く機会を意識的につくる。
その子の「ちょっとした変化」を探しながら授業をする。
それだけで、学期末の「この子、何も書けない…」がなくなっていきます。
「なにをしたか」ではなく「どう輝いたか」
見て関わった。そのままにしておくのはもったいないです。
記録するときは、このふたつのセットを意識してみてください。
・授業の場面なら → 「教科名」+「そのときの様子」
・授業以外の場面なら → 「生活面のシーン」+「その子が輝いた瞬間」
例えば、こんな感じです。
その子が輝いた瞬間をメモに残しましょう!
「体育・リレーのとき、転んでも最後まで走りきった」
「黒板が消えていないとき、係の子が忘れていたとき、誰も見ていないくても消してくれた」
難しく考えなくて大丈夫。
キーワードの組み合わせでいいのです。
その断片が、学期末に所見の文章に育ちます。

AIを使って所見の下書きをつくる
最近はAIを使って、所見の下書きをつくる先生も増えています。
このキーワードのセットをそのままAIに渡せば、
文章の骨格をつくってもらうこともできます。
ただ、ひとつだけ。
AIに渡すキーワードは、あなたが「見た」からこそ出てくるものです。
見ていない子のことは、AIにも書けません。
道具は使っていい。
でも、材料を集められるのは、その子のそばに行ったあなただけです。
書けない理由は「まだ見ていない」だけ
通知表の所見は、学期末に書くものではありません。
日々の授業の中で、少しずつ積み上げていくものです。
「書けない所見はない」と、今は思っています。
書けないのは、まだ「見ていない」だけ。
目立たない子、大人しい子、できない子。
そういう子に近づいた数だけ、所見は書けるようになります。
そして、所見が書けるということは、
その子のことをちゃんと見ていた、ということの証明です。
子どもたちは、先生に見てもらっていることを知っています。
言葉にしなくても、伝わっています。
所見が変わるとき、きっと子どもとの関係も変わっています。
まず一人、今日のあの子を「見に行く」ところから始めてみてください。
所見が書けるようになれば…
子どもの苦手を見つけて、輝いた瞬間を掴めるようになったあなたは、
保護者との懇談もうまくいくようになります。
以前のブログで懇談について作成しました。
ぜひこちらもご確認ください!!
保護者面談で「何を話そう」と考えている先生ほど、うまくいかない理由
一人で抱えなくていい。全国に仲間がいる
「所見のネタが思い浮かばない」
「あの子のことを書こうとすると、毎回手が止まる」
「できない子への関わり方が、これでよかったのかわからない」
そのモヤモヤを、一人で抱えなくていいです。
悩んでいるのは、あなただけではありません。
全国に、同じように悩みながら子どもと向き合っている先生がいます。
つながった先生たちには変化が起きています。
「一人で考えていたことに、仲間が答えをくれた」
「失敗を話したら、同じ経験をした先生がいて救われた」
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