職員室の閉塞感ー。
日に日に重くのしかかってくる責任ー。
心身はとっくに限界―。
「教員を辞めるべきか…」
「辞めたら自分には何も残らないのではないか…」
こんな恐怖に押しつぶされそうになりながら、夜を明かしている先生は、決して少なくないはずです。
真面目に、誠実に子どもたちと向き合ってきた先生ほど、その葛藤は深く、誰にも相談できずに一人で抱え込んでしまいがちですよね。
本連載「ジーニーとの出会いが、未来を変えた 〜リアル Before/After 〜」は、そんな孤独や不安を抱えていた先生たちが、教員コミュニティ『ジーニー』との出会いをきっかけに、人生を豊かに変化させていくプロセスをインタビュー形式でひも解くシリーズ企画です。

第2回にお届けするのは、
現在、教育行政+3つの副業で自分らしさ全開でご活躍されている40代の元教員のエコ先生です。
こんな太陽のようなエコ先生も教員時代には

もう限界。だけど、私が辞めたら学校や子どもたちはどうなるの?
と心をすり減らし、暗闇のなかにいた、切実な当事者の一人でした。
かつてのエコ先生は、
眠れない夜の連続。
全身に原因不明の蕁麻疹。
止まらない激しい咳。
そして、肺が真っ白に映ったレントゲン写真。
初めて顔を合わせた医師から告げられたのは、
「命をかけてまでする仕事ですか!」
という重い一言…。
しかし、思い切って教員を退職して1年が経った今、
①自ら起業した、不登校支援と学力向上支援を軸にした個別支援事業。
②週に1回、子どもたちのフォローのために学校に直接入る福祉の仕事、放課後デイサービスでの保育所等訪問支援
③幼少期からの憧れだった夢を叶え、MC、エキストラ、オーディション、撮影などの役者業
そして、このような活動が認知され、再び教育業界からオファーがあり、
④教育委員会所属の特別支援教育の主任相談員
と、教育行政職の公務員でありながら、3つの副業申請で見事に自己実現を果たしています!
4つ仕事を持ちながら

毎日やりたい放題で楽しい!
と笑いながら話してくれたのでした。
なぜ、ここまで大きく人生が変わったのか。
そのキーワードは
私の選んだ生き方を正解にする
です。
今、まさに教員を辞めるかどうか、これからのキャリア選択に悩んでいる先生へ。
今回の記事では、
教員経験がセカンドキャリアにどれほどの価値があるのか、休職も退職も経験したエコ先生のストーリーを通してじっくりお伝えしていきます。
この記事を読み終わる頃には、
私には、「どんな可能性があるのだろう」とこれまでの不安が期待感に変わっていることでしょう。
どうぞ最後までお付き合いください。
「消えたい」と願った休職から、肺が真っ白になる限界を超えて
「消えたい」と願うまで走り続けた10年目の崩壊

新卒ストレートで小学校教員になったエコ先生。
「特殊教育」から「特別支援教育」へと日本の教育界が大きく舵を切る、まさに歴史的な移行期の真っ只中でのスタートでした。
彼女には、誰よりも熱い信念がありました。
「通常学級の中で、本当に困っている子どもを救いたい」
発達障がいなどの特性があるのに理解されず、
「サボっている」「悪い子だ」と誤解されて苦しむ子どもたちを、取りこぼさず学ばせたい。
その使命感だけを原動力に、
彼女の頭から「休む」という選択肢は消え、
10年間がむしゃらに走り続けました。
心と体はすり減り、ある朝ついに起き上がれなくなりました…。
もともと抱えていた難病に加えて、
不安症、自律神経失調症、鬱が重なり、絶食入院。
そのまま1年間の病気休職へ…。
最初の2ヶ月はただ眠り続けることしかできないほどの崩壊ぶりで、
自分が存在したこと自体をすべて消したい。無にしたい…。
とさえ思い詰めていたそうです。
少しずつ体が動くようになってからも、
「学校を休んで申し訳ない」
「周りに甘えてはいけない」
という自責の念に囚われたままでした。

誰かに頼ってもいいと思えたきっかけは、何かあったんですか?

私の後に来る先生が、ベテランのとっても素敵な先生が来てくださるっていうのが分かったからなんです。
『この人になら、可愛い子どもたちを任せられる』って思えたんですよね。
というか、私が今ポンコツな状態で無理して教室にいるより、この先生がいてくれた方が子どもたちは幸せだろうなって(笑)。
自分のために休むのは難しかったけれど、『子どものため』と思えたことで、ようやく誰かに頼る、甘えるっていう第一歩が踏み出せた気がします。
さらに、当時の校長先生からかけられた温かい一言が、自分自身に休むことを許す決定打となった語ります。

その時の校長先生が、「先生、何年頑張ったん?」って聞いてくださって、
私が『10年頑張りました』って答えたら
「じゃあ、頑張った分だけ休む権利はあるんだよ」って言ってくださったんです。
「あなたの代わりはちゃんといるから、安心してゆっくり休み。休んでくれる方が、私たちもハッピーだよ」って。
そのおかげで、ようやく自分で自分を許していいんだ、休んでいいんだって、10年目にして思えたんですよね。
そして、休職中には、親友に誘われるまま電波の届かないクルーズ船へ。
「知り合いの先生なんて絶対にいない」からと背中を押され、大学生時代以来の金髪に、再び髪を染めるという一歩を踏み出します。
「周りの目より、自分の本当にやりたいことに素直になろう」
外見の変化が、内面のセルフイメージまで前向きに変えてくれたのでした。
この鮮烈な体験が、エコ先生にとって「自分軸」を育む、素晴らしいきっかけとなりました。
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ハチの巣のように真っ白になった肺――「一人の人間」として生きる退職の決断

1年の休職を経て復職したエコ先生は、校長の勧めで教職大学院へ2年間派遣されます。
「期待に応え、大学院での学びを現場に還元したい」
管理職ではなく特別支援教育のスペシャリストの道を選び、通級指導教室の担任を志願するなど、専門性を惜しみなく注ぎ込みます。
大学院での素晴らしい学びを経て学校現場へ復帰したエコ先生。
そんな彼女を待っていたのは、特別支援学級の担任をしながら、校内の特別支援コーディネーターという重要な役割を兼務する多忙な日々でした。
と懸命に職務に励んだ結果、再び体調に異変が…。
眠れない夜の連続。
全身に原因不明の蕁麻疹。
止まらない激しい咳。
それでも働き続けた結果、医師から、衝撃の事実を突きつけられます。
ハチの巣のように「真っ白に染まった肺」のレントゲン写真
検査の結果、気管支喘息と診断。
持病がまた一つ増え、
毎日、20錠もの薬を服用。
そこで初めて顔を合わせた医師は、エコ先生の魂を揺さぶる一言を投げかけます。
医師 「これは、ご自身の命をかけてまでする仕事なんですか!?」
その言葉に、エコ先生はハッとしました。
さらに同時期、共に働く大好きな先輩教員の闘病や、長年お世話になった恩師たちの急逝が重なった現実を前に、エコ先生の脳内で何かが一つにリンクしました。

ご自身の心の中で、どうやって『もう教壇を降りて、自分を一番に大切にしよう』と気持ちを整理していったのですか?

『体を本当に大事にしてね』と言ってくれる先輩たちがいました。
学校の仕事をがんばっている私ではなく、丸裸の『一人の人間としての私』を心配してくれているのは誰だろうって考えたんです。
『私は、私のことを本当に大切に思ってくれている人の期待に応えよう、その人たちの言葉を信じよう』
そう決めたとき、ようやく退職に向けて、心がすーっと落ち着きました。
『退職』という決意。
それは「教育を諦めた」のではなく、これからの人生を
へと歩み出すための、最も勇敢で、前向きな決断だったのです。
自分軸で描いたセカンドキャリア ― 教育行政と3つの副業
退職はキャリアの終わりではなく、
「やりたいことをすべて叶えながら教育にも貢献し続ける」
軽やかな始まりでした。
【不登校の個別支援】親子の心に寄り添うオーダーメイドの架け橋


学校を退職されてからスタートした『不登校支援の個別支援事業』は、どういった思いで立ち上げられたんですか?

もう残してきた子たちをそのままにしたくなかったっていうことなだけなので。
不登校の子のお母さんたちと話すなかで、お母さんの抱える不安や焦りが、そのままダイレクトにお子さんの状態に繋がっていると痛感しました。
多忙な学校現場では、お母さんのケアにまでj十分に時間を割くことが難しかった。
だから、『お母さんを救わないと、子どもも救われない』と思い、学校を辞めて一人のサポーターとして親子の心に寄り添う架け橋になろうと決めたんです。
「学校」という枠組みを超えてでも、目の前で苦しんでいる親子をすぐそばで支え続けたいという、
エコ先生のどこまでも熱く優しい教育者としての原点がここにあります。
現在では、不登校のお子さんへの支援だけでなく、学力向上支援にも領域を広げ、不登校ではないお子さんたちもたくさん通ってきています。
お子さん一人ひとりの発達特性を保護者や学校に分かりやすく説明したり、合理的配慮の検討をご提案したりと、学びの土台そのものを丁寧に支える伴走者としての役割を担っています。
【保育所等訪問支援】福祉の立場から教育現場へ入るセーフティネット


週に1回、放課後等デイサービスに所属して、学校に入る『保育所等訪問支援』には、どんな目的があるのでしょうか?

私一人が個人的に関わっているだけだと、何らかの理由で私が関われなくなったときに、そのご家庭はまた孤立してしまいますよね。
でも、『福祉行政』を経由しておくことで、私が去った後でも、担当の相談員さんや放課後デイのスタッフさんとお母さんや子どもがずっと繋がり続けることができる。
『自分が去った後も、この子が社会から孤立しないためのセーフティネットを作る』
福祉と学校現場をシームレスに繋ぐ、今のこの役割にすごくやりがいを持っています。
その場限りの支援で終わらせず、
自分が去った後も子どもが一生涯社会から孤立しないための確かな仕組みをプレゼントしたいという、
専門家としての深い愛情と責任感が込められています。
【俳優業への挑戦】「卒業文集に書いた夢」を今、120%楽しむ――軽やかに飛び回る役者としてのエコ先生


小学生の頃の夢だった『女優になりたい』という夢。
今まさに役者として挑戦されていますが、実際に活動してみていかがですか?

撮影やオーディションってバタバタと舞い込んでくるので、スケジュールがオールフリーじゃないとまず受からないんですよ。
学校を辞めて完全に自由になったからこそ、プロモーションの仕事で九州全県を飛び回るような、信じられない経験もできました。
クリスマスマーケットなどのイベントMC業も楽しくさせていただいています。
『何かを捨てれば、それ以上に素晴らしいものが必ず入ってくる』
本当にやりたかったことを、今120%全力で楽しんでいます!
かつて他人の目を気にして諦めていた夢を見事に引き寄せ、一瞬一瞬を心から面白がって生きる喜びが溢れています。
【特別支援教育主任相談員】週4日勤務・副業公認・社会保険完備で教育行政へ復帰した最強交渉術


公務員でありながら『週4日勤務・副業公認・社会保険完備』という、好条件で教育行政に復帰された経緯を教えてください。

学校を辞めて外に出て、一時的に固定給に対するリアルな不安を感じていました。
でも、教員時代に講師の先生たちが自分の希望条件を提示してそれが120%快く受け入れられているのを間近で見ていたんです。
だからオファーをいただいた時も、『今の副業を続けられるのであれば働きます』と完全に主導権を持って交渉しました。
一歩外に出たからこそ、自分の大切な人生も、大好きな教育への貢献も、どちらも妥協しない『最高の働き方』を自分でデザインできるようになりました。
一度学校の「外」へ踏み出したからこそ、
自身の圧倒的な専門性を武器にして、心身の健康と大好きな教育への貢献を両立できる最高の働き方を主体的に勝ち取ることができたのです。
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教員を辞める前に出会いたかった ― 本音を語り合える第3の場所『ジーニー』
教員という枠を一度飛び出し、自分自身の心と体、そして本来の夢に向き合って新たなキャリアを突き進むエコ先生。
そんな彼女が活動を続けながら出会ったのが、教員コミュニティ『ジーニー』です。


教員コミュニティ『ジーニー』に入ったきっかけや、このコミュニティに感じている価値について教えてください。

出会ったきっかけはSNSにキャリアの広告が上がってきて、学校の先生だけじゃなくてそうじゃない人も入ってきていいよって書いてあったんです。
私は学校の先生をしてたけど今は違うことをしていて、キャリアを考える時に『学校の先生のお役に立てたらなぁ』と思って入りました。
他県の、職種も年齢も違う、でもエネルギーがある『なんかやってやろう』っていう人たちと繋がれる、とても居心地がよくて、安心できる場所です。
本当に教員を辞める前に出会いたかったなと思います。
ビジネスや資産形成といった新しい「視点」を得るだけでなく、
お互いの選択を尊重し、丸裸の存在として認め合える「本物の仲間」と出会えたことが、エコ先生にとって何よりの宝物となりました。
これからのキャリア選択に悩んでいる先生へ
エコ先生は、迷いのない口調でこのように語ります。

もし今あなたが、同じように「辞めるべきか、続けるべきか」これからのキャリア選択に夜な夜な悩んでいるとしたら、
学校でもなく、家庭でもない、サードプレイスとしての教員コミュニティ『ジーニー』で、まずは小さな一歩を踏み出してみませんか。
エコ先生と直接話したい、相談したいという方は、
下のボタンから、ジーニー公式LINEに
【未来】
とメッセージを送ってください▼▼
\仲間とつながり、未来が変わる✨/
エコ先生のように、自分の生き方を正解にしていくセカンドキャリアは、きっとあなたの中にも眠っています。
その最初の一歩を、エコ先生の物語がそっと後押ししてくれたはずです。
教員コミュニティ『ジーニー』には、あなたの未来を変えるきっかけが待っています。
あなたと出会えることを楽しみにしています。
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