教員の仕事は好き。子どもたちと過ごす時間も、授業を考えることも。でも…また1年生から同じ3年間を繰り返すのだろうか…
30代後半にもなって、自分はまだ『若手』とひとくくりにされ、同じ場所で足踏みしているんじゃないか…
ふと周りを見渡せば、同年代の友人は職場で重要なプロジェクトを任され、どんどんキャリアを階段を登っている…
海外勤務や日本人学校に興味はある。
けれど、
家族や幼い子どもを連れて異国の地に飛び込む恐怖、治安や教員のお金・手当のリアルな厳しさが分からず、一歩を踏み出せない……。
日々同じ業務を繰り返す中で、ふと「自分はこのままでいいのだろうか」とキャリアや成長に疑問を抱く30-40代の教員は少なくありません。

- 「若手」を抜け出し、この先の教員キャリアにモヤモヤ・焦りを感じている
- 日本人学校への挑戦に興味があるが、選考の準備や家族への理解が得られずに悩んでいる
- 海外赴任後のリアルなお金事情(高額医療費・為替リスク・手当の罠)を知りたい
- 今の学校を辞めずに、自分の可能性や視野を大きく広げたい
今回登場していただくのは、中学校の国語教員として働く中で、同じ悩みを抱えていたBY先生です。
BY先生は、ブラジル・サンパウロ日本人学校への派遣選考や現地でのお金事情、ハプニング連続のリアルを乗り越え、大きくキャリア観を変化させていくことになります。
BY先生が辿った挑戦と、その後に芽生えたキャリア観のBefore/Afterを見てみましょう。
- 中学校の国語の教員として12年勤務。学年担任を3周(123、123、123)繰り返す中で、「また1年生から始まるのか」という脱力感と閉塞感
- 同年代の友人が企業で役職に就きキャリアを重ねる中、30代後半になっても「若手頑張れ」と括られる環境へ強い焦り
- 在外教育への興味はあったものの、幼い子どもと妻を伴う生活費、治安、高額な医療費などのリアルな不便さや不安
- 妻の後押しと1年間の念入りな情報収集を経て、サンパウロ日本人学校への派遣選考に合格
- 現地での治安・医療・教材不足・生徒の激しい出入りといった一筋縄ではいかない困難を乗り越え、現地コミュニティや異業種との一生モノの人脈を獲得
- 海外経験を積むことで、日本の教育や技術力の高さを再認識し、帰国後は「学校組織を良くする側へ回りたい」と決意
- 「自分が育ててもらった分、後輩にきつい思いをさせたくない」と、若手が活き活き働ける職場づくりのため管理職を目指すキャリア観が確立
繰り返しの日常への葛藤から、日本人学校教員が知っておくべきお金の落とし穴、そして帰国後に芽生えたキャリアへの自信まで、BY先生のストーリーをじっくり紐解いていきます。
この記事を読み終わる頃には、
「自分の教員キャリアには、まだまだ想像以上の可能性が眠っている!」と、未来へのわくわく感がわいていることでしょう。
どうぞ最後までお付き合いください。
中学校教員12年目の葛藤から日本人学校の派遣選考へ|キャリアの転機
安定した教員生活の中でふと芽生えた違和感が、キャリアの大きな舵を切る原点となりました。

「1, 2, 3年」と同じサイクルの繰り返しと「このままでいいのか」という焦り

これまでの教員生活と、海外派遣を意識するようになった当時の葛藤について教えていただけますか?

私は中学校の国語教員として、12年間勤めてきました。
学年担任として「1年・2年・3年」を3周経験したのですが、最後の3年生を卒業させた時でした。
「よし、また1生からやるぞ!」ではなく、「ああ、また1年生から始まっちゃうんだな…」という脱力感があったんです。

同じサイクルを繰り返す中での、言葉にできない閉塞感ですね…。

そうなんです。
周りの中学時代の同級生たちは、企業でプロジェクトリーダーになったり、主任や課長といった役職に就いて後輩を育成したりしていました。
それなのに、私の勤める自治体では37歳になっても『若手枠』。
「若手、頑張れ!」と言われ続ける中で、
「自分はこのままでいいのかな」という強い焦りが膨らんでいた時期でした。
奥さんの一言と1年間の念入りな情報収集選考プロセス

どうやって日本人学校への挑戦へ踏み出したのですか?

実は昔、妻に「いつか海外で働いてみたい」とポロッと話したことがあったんです。
その時は「まだ早いんじゃない?」と言われたのですが、3周目が終わったタイミングで妻が「昔、『海外で働いてみたい』って言ってたじゃん、今がそのタイミングじゃない?」と言ってくれたことがきっかけなんです。

奥様からの最高のパスですね!
選考に向けては順調に進んだのでしょうか?

最初は当時の校長先生に相談したのですが、「情報が足りない、1年間は情報を集めたら?」とアドバイスを受けました。
そこで、在外教育経験のある先輩方とつながり、配偶者の生活事情や選考面接の対策を徹底的にリサーチしました。
1年後に改めて希望を出し、自治体と文科省の面接を経てサンパウロ日本人学校への派遣が決まったんです。
同じ業務の繰り返しに脱力感を覚え、職場での「若手扱い」に強い焦りを抱いていたBY先生。
しかし、奥様からの後押しと1年間の念入りな情報収集を経て、サンパウロ日本人学校への合格を掴み取りました。
現状への不安やモヤモヤを抱え込むのをやめ、自ら一歩を踏み出したことで、BY先生の挑戦のストーリーが動き出したのです。
日本人学校教員のお金と生活のリアル|高額医療費や為替リスクなど金銭事情の裏側
期待と不安が入り交じる中で赴任した南米ブラジルでは、日本の常識が通用しない現実が待っていました。

高額な医療費と為替リスク|日本人学校教員が知っておくべきお金の落とし穴

実際にサンパウロでの生活が始まって、日本人学校の教員として直面する「お金や生活面」のリアルな課題にはどんなものがありましたか

現場に行って実感したのは「制度以外の想定外のお金のリスク」でした。
治安に対する緊張感はもちろんですが、ブラジルでは口座が開設できないため、ネットバンクや現地カードの活用が必須!
さらに大変だったのが医療費です。子どもの歯の治療で1回3万円かかったり、知人の先生がアキレス腱を切って即座に100万円の立て替えが必要になったり…。
保険金が戻ってくるのは1年後ということもあるので、「日本人学校に行くなら事前の資金準備が絶対に必要だ」と痛感しましたね。

医療費の立て替え100万円は恐ろしいですね…。
給料はどのように支払われるのですか?

海外手当の換算レートが4月に固定されてしまうため、円安が進むと現地での生活はどんどん厳しくなりました。
でも、現地の日系コミュニティやママ友ネットワーク、週1回のバスケットボールを通じた現地の人や駐在員さんとの繋がりが本当に支えになりました。
異業種の人たちと助け合える人脈があったからこそ、生活の平穏を守ることができたと思っています。
✅海外赴任での金銭リスク以前に…「なぜ教員はお金が貯まらないのか?」その構造的な理由をこちらの記事で解説しています▼▼
教材不足と生徒の激しい出入り ― 日本人学校ならではの授業と学級経営

学校現場でのご苦労や、日本との違いはありましたか?

教材や副教材が船便で届くため、7月にならないとワークが手元に届かない不便さがありました。
また、親御さんの帰国や転勤に伴い、1年間に5人転入して5人転出していくような生徒の激しい入れ替わりがあり、学級経営の難しさを感じましたね。

日本の学校ではなかなか味わえない経験ですね。

はい。ただ、児童生徒全員と教員にiPadやMacBookが支給されていてICT環境が進んでいたり、小中一貫で縦の繋がりが非常に強かったりと素晴らしい面もたくさんありました。
教員がどんどん入れ替わるからこそ、組織としての引き継ぎや校内改善の難しさを痛感した3年間でもありました。
ハプニング連続の現実を一つひとつ乗り越えた経験が、どんな環境にも対応できる圧倒的な柔軟性を身に付け、BY先生の中に揺るぎないたくましさと人脈という財産を築き上げたのです。
日本人学校での在外教育が教員キャリアを広げる|帰国後の変化と管理職への挑戦
3年間の海外勤務を終えて日本へ戻った時、BY先生のキャリア観と視野は劇的な変化を遂げていました。

子どもたちに伝えられる「広い世界」と日本の価値

日本へ帰国されてから、子どもたちへの向き合い方や教育観にはどんな変化がありましたか?

「世界は広いぞ、君たちはすごく恵まれているんだぞ」と、自分自身の実体験をもってリアリティ高く日本の中学生に伝えられるようになりました。
地元にいると世界が狭くなりがちですが、外に出たからこそ、日本の技術力の高さや治安の良さ、食文化の素晴らしさを再認識できたんです。
子どもたちにも「もっと広い視野で未来を見ていこうよ」と声をかけられるようになりました。
学校組織を変える側へ ― 管理職・キャリアアップを見据えるモチベーション

BY先生ご自身の、今後のキャリアや目標についての意識はいかがでしょうか?

行く前は「転職して新しいことをやってみようか」という気持ちも正直ありました。
ですが、海外で様々な経験を積み、現地で指示を出す立場も経験したことで、「日本の教員組織の中で上を目指してみよう」という気持ちに変わったんです。

転職ではなく、教員として組織を高める側への挑戦ですね!

はい。管理職によって職場の働きやすさは大きく変わります。
私自身、若い頃に先輩方に育ててもらったからこそ、
「後輩にきつい思いをさせたくない」
「20代・30代の若手が活き活き働ける職場を作りたい」
という思いが芽生えました。
海外派遣という挑戦が、教員としてのキャリアアップを目指す決定的なきっかけになりました。
✅学校という閉塞感に悩み、「自分の可能性を広げたい」「教員のウェルビーイングを高めたい」と感じている先生へ。『ジーニー』立ち上げメンバーの一人である坂本先生のリアルストーリーはこちら▼▼
12年間のルーティンに焦りを感じていたBY先生が、サンパウロ日本人学校での決死の在外教育への挑戦を経て手に入れたのは、
でした。
決着のつかないモヤモヤを抱えていた教員から、教育の未来と組織の改善を力強く牽引するリーダーへと、キャリア軸が劇的な覚醒を遂げた瞬間でした。
日本人学校での在外教育の経験が、教員キャリアの可能性を切り拓く


最後に、日本人学校での挑戦を迷っている先生方へメッセージをお願いします!

「日本の学校を3年間離れるのがマイナスにならないか」
「現地でやっていけるか」
と、私も行く前は不安でいっぱいでした。
でも、実際に現地で過ごして戻ってきた今、自信を持って言えます。
事前に調べることも大切ですが、「行ってみたい」という強い思いがあるなら、挑戦したい気持ちを大切にして、絶対に行った方がいいですよ!
「自分はこのままでいいのだろうか」とキャリアや成長に疑問を抱く30-40代の先生へ。
あなたも、以前のBY先生のように「同じ毎日の繰り返しでいいのか」と悩み、一歩を踏み出す怖さを感じているのではないでしょうか?
しかし、海外へ飛び出し、日本人学校で勤務した経験が、教員としての価値と視野を何倍にも高めてくれる一生モノの武器になることをBY先生の経験が教えてくれています。
「挑戦したい」という素直な気持ちに蓋をせず行動を起こすことこそが、あなたの教員キャリアに眠る無限の可能性を切り拓くのです。
一人で抱え込まず、実際の経験者に相談してみることから始めてみませんか?
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